LOGIN【①状況】
サラリアがラーシュと出会うよりもずっと前。
彼女は地上にある小さな王国で生まれ育った。
豊かな水と肥沃な土に恵まれた国。
遠くから見れば平和で穏やかな国だった。
だが、その内側は腐り切っていた。
王は無能。
貴族は私腹を肥やすことしか考えない。
王には正妃が一人、側妃が九人。
さらに数え切れないほどの愛妾がいた。
結果として王子は八人、王女は十二人。
サラリアはその中の第十王女だった。
彼女が育ったのは女たちだけが暮らす後宮。
人々はそこを「花園」と呼んだ。
けれどサラリアにとって、その呼び名は滑稽だった。
花園は手入れされてこそ美しい。
放置された花園は雑草が生い茂り、花同士が養分を奪い合う。
後宮も同じだった。
煌びやかな衣装。
豪奢な宝飾品。
華やかな笑顔。
その裏では毎日のように誰かが泣いていた。
誰かが傷ついていた。
誰かが消えていた。
王の寵愛は有限だ。
だから女たちは奪い合った。
地位のために。
子どものために。
自分が生き残るために。
誰かが上へ行こうとすれば引きずり落とす。
弱った者がいれば踏みつける。
昨日まで笑い合っていた相手でも、今日は敵になる。
そんな世界だった。
サラリアは幼い頃から、その空気を当たり前のように吸って育った。
廊下ですれ違う女たち。
優しく微笑む顔。
けれどその目は笑っていない。
扇の奥に隠された本心は冷たく濁っていた。
誰かがいなくなっても翌日には何事もなかったように朝が来る。
悲鳴も涙も、すぐに忘れられる。
それが後宮だった。
そしてサラリアは幼いながらに理解していた。
ここでは強い者だけが生き残るのだと。
.
後宮にはもう一つ暗黙の仕組みがあった。
―――生贄。
閉じ込められた女たちは鬱憤を抱えていた。
外へ出る自由はない。
未来を選ぶ自由もない。
王の気まぐれ一つで人生が決まる。
その歪みが生み出したのが生贄だった。
弱い者へ怒りを向ける。
言葉で傷つける。
平手で打つ。
笑いながら心を削る。
けれど殺しはしない。
生贄がいなくなれば、次は自分が標的になるから。
サラリアの母・ナタリアは、その生贄の一人だった。
ナタリアのことをサラリアはほとんど覚えていない。
思い出そうとしても浮かぶのは怯えた顔だけだ。
優しかったのかもしれない。
愛してくれていたのかもしれない。
抱き締められたこともあっただろう。
けれど覚えていない。
サラリアの記憶に残っているのは、いつも何かを恐えていた姿だけだった。
ナタリアは元々城で働く下女だった。
父王の目に留まったのは偶然。
ただ庭にいただけ。
それだけだった。
父王は気まぐれに彼女を抱いた。
それは父王にとって何の意味もない行為だった。
食事をすることと変わらない。
欲望を満たすためだけの行為。
だが、その結果ナタリアは身籠った。
王の子を。
だから後宮へ入れられた。
そして。
後宮の闇に呑まれた。
毒殺だった。
サラリアは後からその事実を知った。
不思議と悲しくはなかった。
なぜなら、そうなることを理解していたからだ。
あの場所では珍しい話ではない。
弱い者が消える。
それだけのこと。
だから涙も出なかった。
怒りも湧かなかった。
ただ、そうだったのかと思っただけだった。
人は生まれれば死ぬ。
それが少し早かっただけ。
そんな風にしか思えなかった。
もしかすると、その頃からだったのかもしれない。
生きることに強く執着できなくなったのは。
.
だが。
そんなサラリアに執着した人間がいた。
父王だった。
元下女の娘。
本来なら誰にも見向きもされない存在。
放っておけば母と同じように消えていたはずの存在。
なのに父王は違った。
サラリアを見つめ。
抱き上げ。
嬉しそうに笑った。
まるで宝物でも見つけたかのように。
「私の金色姫」
その言葉を、サラリアは今でも覚えている。
父王はそう呼びながら、常にサラリアを傍へ置いた。
その寵愛が。
母を殺した。
そして―――
サラリア自身の人生も大きく歪めていくことになる。
「トールが採ったは、狡いのではないか?」ラーシュのグラスが空であることに気づいたサラリアが、水をグラスに注いでいるとラーシュがそんなことを言った。やや恨みがましい。最初の頃は気づかなかったようだが、さすがにもうサラリアの『嫌がらせ』に気づいているようだ。それでも、サラリアは素知らぬ振りで首を傾げる。「それならばお食べにならなければよろしいのでは?」ラーシュの顔が歪む。サラリアはほくそ笑みたいのを堪える。「陛下がお食べになろうとならなかろうと、お代に変わりはありませんもの」「……食べる」ラーシュは渋々とフォークをレタスに突き刺した。あちこちで同じような光景がみられる。竜族は本当に野菜が嫌いなようだ。高笑いしたくなるのを堪えながら、サラリアは端のテーブルを見た。(例外もいるけれど)「おお、美味しいですぞ!」今日も元気な声だ。「さすがトール様です、美味しいピーマンを選ぶ才能までおありとは」「へへへ、すごいでしょう。いっぱいたべてね、ガイゼル」その例外は、トールの護衛騎士ガイゼル。ウィンドスケイル公爵家の長男で、サラリアの認識では『あの兄』。出家して神殿の聖騎士隊の騎士だったが、サラリアがトールの護衛騎士になってほしいと希望した。王竜だがまだ子どものトールには護衛は必須。そして護衛は四六時中サラリアたちの傍にいる。だから、裏がなくて楽そうだったガイゼルを指名した。因みに。その辞令をオーレリウスから受けたとき、ガイゼルはとても落ち着いていたらしい。あの王竜激ラブな兄の不可解な様子にオーレリウスは首を傾げたが、なんてことはなく、ガイゼルは『夢に違いない』と思っていただけだった。しかし、現実なので「夢なら覚めないでほしい」と思いながら時間は経過。引継ぎをすませ、神殿の騎士を辞職し、近衛騎士に戻った・そし
「鳥族は昔から歌が上手い者が多い。当代の双女王もとても美しい声で歌うと評判だ」「そう女王?」チキンソテーを食べながら相応しい話題だろうか。それが気になったが、好奇心のほうが勝った。「鳥族の国は、二人の女王が治めている」「双子なの?」「そうだ。当代も、先代もそうだった」青空を舞う陽の女王。月夜を舞う陰の女王。空を飛ぶ羽根を持たず、海をいく鱗もない人族にとって竜族・鳥族・魚族は未知の部分が多い。人族の知ることは多くが想像でしかなかった。それをサラリアはドラコニアにきて知った。「当代の女王は、陰の女王だったカラ様が産んだ双子の女王だ」「カラ様も双子だったのですよね?」「……ああ」ラーシュの顔が苦いものでも食べたような表情になる。ラーシュはときどきこのような表情をする。そんなとき、サラリアが思い出すのはラーシュの幼少期の話。だから。(ここまで)これ以上は踏み込まない――慰めたくなったら困るから。「付け合わせのピーマン、トールが収穫したんですよ」だから苦みの理由を誤解してみせる。.「分かっている。好きではないが食べる」特に味付けをせず、料理は素材の味というのが竜族の料理。そして、総じて野菜が嫌い。それでも、甘いものは食べる。フルーツや、野菜の中でも甘みのあるトマト、カボチャなどは好むようだ。だが、葉物やピーマンなど苦いと感じる野菜は嫌がる。だから、サラリアの店の料理は野菜中心。金髪姫の名に相応しい容姿を保つため、王女時代のサラリアの食事は野菜中心だった。(あのときは肉を食べたいとか思ったけれど)今では感謝している。サラリアの野菜料理のレパートリーは多い。.これは竜族へのサラリアの復讐だ。サラリアのブックカフェの客は90%以上が竜人だ。竜族の国なのだから当然だ。そして、竜族の嫌いな野菜中心の料理を出すのに、店はかなり繁盛している。王竜の母親がやっている店だから。王竜にお目にかかれる場所だから。(浮かれすぎて『あのとき』を忘れているのかしら)店の客にはシーラがラーシュの番に相応しいと言った者が多くいる。人族なんかと、サラリアを見下した者も多い。見事な手の平返しに感心はするけれど。呆れるだけで、『あのとき』をサラリアは忘れていない。サラリアの料理が認められても、それは、それ。だから、意
サラリアは入荷したばかりの鳥族の国の本を開いた。竜に変化することを覚えたトールは、毎日楽しそうに空に飛び立つ。そのときのトールはとても楽しそうで。サラリアには味わえないもので。それならば、とサラリアはオーレリウスに鳥族に関する本がほしいと願い出てみた。そして今朝届いた。中にはサラリアが望んだ通り鳥族に関わる図鑑や物語。あと。(竜族の本は余計なんだけど)オーレリウスの余計な気遣いに苛立ちながらサラリアは本を読みはじめる。サラリアのブックカフェはジャンルごとに棚を分けている。だから、サラリアは届いた本は全て簡単に目を通す。図鑑は興味深く、フィクションかノンフィクションか分からない物語は面白かった。そして最後の一冊。「番鴛鴦の詩?」薄いが、装丁がきれいな詩集だった。「わたしの羽根は……」.わたしの羽根は君の名を刻む風が吹けば君の声が胸を裂く 空を飛ぶために生まれたのではない君のため君に向かって飛ぶためにこの翼はあるのだと本能が歌う 番よわたしの命を君の影に捧げよう 君が笑えば太陽は陰る君が泣けば星は燃え尽きる この世界が終わるとき最後に残るのは君の名を呼ぶわたしの声 .「……それが わたしの歌」読後の余韻で、サラリアがほうっと息を吐いたとき。 コンッ叩く音がした。そちらをみると、店の入口にラーシュが立っていた。「い……」『いらっしゃいませ』『どんな本をお探しですか?』
(本当に……なんか、こうなんだよな……)「ねえ、ガイゼル。おいしい?」「もちろんですぞ!」サラリアのブックカフェ内にガイゼルの大きな声が響く。「さすがトール様です。こんな美味しいレタスを食べたのは初めてです」ラーシュはそちらを見たあと、ため息を押し殺して、自分が食べている途中だった料理に目を戻した。――いらっしゃいませ。今日はどんな本をお探しですか?サラリアはいま、ラーシュを客の一人として受け入れてくれている。ラーシュとしては毎日来たい。だが、受け入れてくれたのはあくまでもサラリアの温情。甘えて、これ以上嫌われたくない。だから二週間に一度くらいのペースで来るようにしている。毎日来ない理由はもう一つある。(選択肢があるが、ないようなものだな)ブックカフェの食事のメニューは種類が豊富だが、一番上には。【王竜トールが収穫した野菜を使った日替わりセット】こう書かれていれば、日替わりセット以外の選択肢はラーシュにない。父親だからというだけではない。王竜に対する本能的な服従。竜王であるラーシュですらそうなのだから、他の竜人たちにも当然他の選択肢はない。これなら他のメニューはいらないのではないか。ラーシュはそう思ったが、竜人たちが連れてくる他種族の番が食べる。今も虎族の女性はハンバーグを食べている。肉のニオイが暴力的だ。店内にいる竜人たちは皆そのニオイにやられている。ラーシュもそのニオイにやられながら、目の前の料理をフォークでつつく。皿の上にあるのは、ほぼ野菜。日替わりセットは毎回小さな肉もしくは魚に、たっぷりの野菜。ラーシュは野菜が苦手だ。ラーシュに限らず竜人は野菜が苦手だ。食べる習慣がなかったというのもある。最初はサラリアの嫌が
――私は、王竜様になんてことを……。全身重度の火傷を負ったものの、ガイゼルは翌日には目を覚ました。目を覚ましたが、全身全霊で落ち込んでいた。二週間くらいウジウジしたあと、ガイゼルは後継ぎの座をオーレリウスに譲ると言い出した。シーラにあっさり騙された。貴族社会でやっていく自信はない。髪も焼けて坊主になったから丁度いい。そう言って、規律の最も厳しい神殿に突撃していった。もちろんオーレリウスは止めた。ガイゼルは確かに騙されやすいかもしれないが、その愚直さこそウィンドスケイル。裏がないからこそ王家は忠臣と認めてきた。ガイゼルのほうが公爵に相応しい。オーレリウスは説得を続けたが。――剣を向ける先を間違えた私を陛下は二度と信じない。――それなら陛下のお傍に立てるウィンドスケイルはお前だけだ。その真っ直ぐな言葉に、それ以上何も言えなかった。家督を弟に譲ることも。貴族でなくなることも。ガイゼルにとっては、竜王と王竜という存在を前にしたら『そんなこと』だった。あのとき、オーレリウスは兄ガイゼルの信念を見た気がした。.神殿で修行したガイゼルは強くなった。それまでは次期公爵として教養や礼節を学ぶ必要があった。その時間と体力を鍛錬にガイゼルは全振り。その環境がとてもあっていたのだろう、ガイゼルはとても強くなった。――俺が考えると碌なことがなさそうだ。――考えることはお前に任せた。脳筋丸出しの発言にオーレリウスは呆れたが、それこそウィンドスケイル。ウィンドスケイルらしくなく腹芸が得意なオーレリウス。適材適所と割り切って、「分かった」と答えた。◇◇◇「サラリア様はなぜあの兄をご指名で?」「深読みする必要がなさそうで楽だから、らしい」(なんか分
「オーレリウス、カフェの島に常駐させる護衛の件で話がある」ラーシュの言葉にオーレリウスは頷く。顔には出さなかったが、『ようやくか』と呆れていた。.ドラコニアはいくつもの浮島から作られている国。名前のついている島もあるが、サラリアたちが暮らす島は、それまで無人島だったため名前がない。そのため『カフェの島』と呼ばれている。三日前、そのカフェの島に泥棒が入った。泥棒を感知したのは、カフェの島を縄張りにしている王竜トール。――夜中に誰か知らない人が来たっぽい。翌朝、眠そうな顔でトールがそう母サラリアに報告したことがことの始まり。――夢かなあ。ドラコニアを繁栄させる王竜という存在だけど、いまはまだ幼児。夜きちんと寝ることが大事。下手に警戒して夜眠れなくなってはいけない。そう判断したサラリアは、トールには夢ということにした。そして、すぐに被害の確認をした。被害はあった。外に干してあったトールのパンツが盗まれていた。なぜ夜に干していたのか。オーレリウスの質問に、「おねしょ」の一言でサラリアは説明を終えた。犯人は見つかっていないが。(犯人はおそらく、トール様のファンだが数が多い)犯人は見つけたいが、現実問題、パンツ一枚を探すことは難しい。サラリアも「大した害ではない」で済ませようとしているし、サラリアがそれならばとラーシュも納得していた。(サラリア様の下着だったらどうなっていたことか……いや、トール様のパンツならいいという話でもないのだが)そんなことがあって、カフェの島に護衛騎士を常駐させる案が出た。カフェの島周辺も含め、騎士たちは厳重に警備している。しかし、島に侵入されてしまえば、あとは無防備だ。そのため、任命される護衛騎士はカフェを中心に島内部を警備することになる。(つまり
それから始まった蜜月期と呼ばれる時間をサラリアはほとんどラーシュの腕の中で過ごした。朝、目を覚ませば隣にラーシュがいる。食事をしていても抱き寄せられる。夜になれば当然のようにラーシュはサラリアを抱いた。竜族は体温が高く、ラーシュに抱き込まれるたびぽかぽかと温かくて安心したが―――問題があった。竜族と人族では体力が違いすぎた。ラーシュは加減していると言っていたが、それでもサラリアは毎夜抱き潰されて気絶するように眠りについていた。「ラーシュ、休憩……お願
至近距離にラーシュの顔があった。長い睫毛。 白い肌。 冷たい美貌なのに藍色の瞳だけが熱を帯びている。気づけば見上げる形になったラーシュの顔を見ていた。視線がラーシュのものと絡まった途端、サラリアの背筋を痺れるような甘さが駆け上がった。腰の奥がじわりと熱を持ち、身体の芯が溶けていくようだった。「な、なに……?」自分の身体なのに、自分のものではないみたいだった。力が抜ける。息が苦しい。頬が熱い。怖いのに、逃げたいのに、ラーシュから目を逸ら
サラリアの国では、金色の髪は五穀豊穣を司る神の化身とされていた。滅多に生まれない神聖な色である金。その金色を持つサラリアが自分の娘であることに、血を次代に継ぐしか能がないと言われていた父王は有頂天になった。「金色姫さえいれば安泰だ!」政など何一つ理解していない男だった。現状で民が苦しんでいても何もしなかった。神話めいた存在であるサラリアを崇めることしかしなかった。だが、金色の髪は神の化身という教えは民に浸透していた。害す者には神罰が下る。その教えにより、父王がどれほど愚かでも誰も彼に手を出せなかった。だから父王はサラリアを常に傍に置いていた。愛情ではない。父王にとってサ
窓の外から金属が擦れる音が聞こえた瞬間、サラリアはベッドの上でぼんやりとしていた視線をゆっくりと持ち上げた。塔の外壁に沿って鎖が下ろされる音。重たい鉄が軋む音。人の気配。いつもは静寂しかないこの塔に生まれた僅かな騒がしさに、サラリアは反射的に窓辺へ歩み寄る。石造りの床は今日も冷たく、裸足の裏から熱を奪っていった。.小さな窓から身を乗り出すように下を見れば、塔の周囲に何人もの兵士たちが集まっているのが見えた。彼らの身につけた銀色の鎧が陽光を反射し、空を見れば竜の姿になった兵たちが空を旋回している。その厳重な警備はまるで凶悪な魔獣でも封じ込めているかのような物々しさだった。その







